戦争体験 2013 5 4

 昔から「改憲論者」として知られ、
「戦後政治の総決算」を主張した中曽根元首相には、
悲惨な戦争体験があります。
 それを中曽根氏の著書から紹介しましょう。
以下は、引用です。
「昭和17年1月24日、陸軍の坂口兵団とともに、
急襲上陸のため、
ボルネオ島のバリクパパン沖に停泊していると、
敵の駆逐艦の殴りこみを受けた。
敵は、爆弾の雨を降らせてきた。
 私のまわりの味方の輸送船が三隻、
アッというまに火を吹き、轟沈させられた。
われわれは、戦友の遺体を抱いて泳いでくる陸軍の将兵の救助に大わらわだった。
その時、眼前を、敵の駆逐艦が副砲と機関銃を乱射しながら、疾駆して行った。
 瞬時にして、四番ハッチに敵弾が命中した。
駆けつけると、阿鼻叫喚の地獄絵である。
腕をもがれた者、頭を割られた者。
血と硝煙の臭いが充満していた」
(以上、引用)
 私は、こんなことを聞いたことがあります。
戦争で勲章をもらうほど軍功を立てた軍人でも、
戦場で、あまりにも悲惨な体験をすると、
すっかり「平和論者」になってしまい、
「戦うべき時が来ても、もはや戦えない」、
ひたすら話し合いを主張する人になってしまうという。
 私は、このような人を非難しません。
これは、人間として自然な感情だと思います。
 勇気を捨て、ひたすら臆病に生きることも、
人生として間違いではありません。
 しかし、誰かが、国を守らなければならない。
中曽根氏は、どんな体験をしても、
「国を守る」という勇気を失わなかった英雄です。
 サムライが消えた日本。
中曽根氏は、最後のサムライだったのか。





































































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